「父の日」を前に思うこと
今週末は「父の日」ですね。
母の日は、花ではなく和菓子を贈ったのですが、喜んでくれて大正解でした。
今年の父の日はどうしようかな、と思っていましたが、実家に帰るたびに発泡酒や見たことないような第三のビールを飲んでいる(飲まされている?)父を見ているので、最近の父の日はちゃんとした(?)ビールを贈っています。
母の日同様、楽天ショップから今年はこちらを注文。
ちなみに、去年はこちら。
無料ラッピングの他、メッセージカードのサービスも付いています。
父は、今年で65歳。
空調設備の自営業で、だいぶガタは来ていますが、まだまだ現役です。
建設中の建物はもちろん、企業や学校等が休みの日にエアコンや室外機を取り付ける仕事なので、当然、冷暖房がない場所での作業環境は過酷です。
高校3年生の夏休み、父の仕事現場に初めて行きました。
足がすくむようなビルの屋上で、はしごをかけて登る父の姿。
危険と隣り合わせの仕事を目の前で見たあの日のことは、何年たっても、忘れることができません。
思春期で口も聞かなかった頃もありましたが、やはり父が働く姿は偉大。
文字どおり、汗水垂らして、長年家族のために働いてくれていることに感謝しています。
母はいつも言います。
「県内で、父さんの右に出るものはいない」
それだけの腕を持っているのですが、その分頑固な、THE職人気質。
しかも、言葉足らずなため、誤解されやすい性格です。
そんな父が、わたしの前で涙を見せたことが3度あります。
白血病で闘病していた弟が亡くなったとき。
女手一つで母を育てた祖母が亡くなったとき。
そして、結婚式の花束贈呈のとき。
父は大粒の涙を一つ、黙って、下を向いてこぼしました。
思い出したら、なんだか胸が詰まりそうです。
父と母は、少し複雑なひとり親同士の結婚です。
父として、母としての姿を、理想と現実の中で模索しながら、私たちを育ててくれたのだと思います。
今更ながらですが、ようやくそのことに気付き、ただただ頭が下がる思いです。
イオンに行った時、息子が言いました。
「おれんちは父がいないから、父の日は…しなくていいよね」
「思い出したくないもんね」
返す言葉が見つかりませんでした。
わたしは、息子から父親の背中を見て育つ機会を奪ってしまった。
たとえ、見せたくない背中であったとしても、見せなければいけなかったのか。
離婚は、親の勝手、という人もいるかもしれません。
ですが、当事者にしかわからないこともあります。
我が家は、事情により、ある時点から面会交流は行っていません。
この先も、行うつもりもありません。
面会交流権は、法的に認められた権利とされますが、この縛られた権利に苦しむこともたくさんあるのです。
父の日と母の日。
わたしは、父にはなれないけど、「働いて、稼いで、子どもを育てる」という義務があるので、まずは、しっかりと母の背中を見せなければね。
頼りないかもしれないけど、いつか息子の記憶に残る背中を見せれたら、と思っています。